映画化
アショーカ版『ラーマーヤナ』の映画化が決まった。
準公式サイト epic india で公表された。一応こちらとこちら。
現段階ではまだ監督もプロデューサーも決まってはいない。実際に映画が銀幕に現れるまでには、まだ時間もかかる。とはいえ、これは日本語版続刊に強力な後押しではある。
記事や著者とのメールのやり取りによれば、最近、というのはどうやら昨年の後半あたりらしいが、かなり真剣なオファーがあったようだ。記事の中にはニュー・ライン・シネマやもうすぐ公開になるフランク・ミラー原作の『300』のプロデューサーたちの名前もある。結局ワーナー・ブラザースから正式なオファーがあったところで、別のシンジケートからカウンター・オファーが出て、最終的にはこちらが獲得した。その間、かなりきびしい交渉とビッドのつりあげ競争があったそうだ。
この作品の映像化への関心は、当初から高かった。まだ原書の全6冊が完結しないうちから映画化に関して様々な打診や非公式な申込があった。これまで著者はそうした話をいっさい断っていた。理由はいくつかあるのだが、最大の理由はこの作品がつきつめればインドの話であり、すなわちインドの感性と論理に基づいているものであり、したがって、インド人でなければ『ラーマーヤナ』の真髄は理解しえないから、だった。一時はキャストもスタッフもオール・インド人でなければならない、それもボリウッドではない、真にインド的インド映画を作っている人びとでなければならない、とまで宣言したこともある。さらには、そのためには結局自分が総指揮をとらねばならないだろう、したがって、当分映画化はないと思ってくれ、とも言っていた。
今回の件でも、基本線は変えていないようである。epic india の記事では、アンソニー・ホプキンスとニコール・キッドマンがぜひ出たいと言っているとの噂にも触れているが、場合によってはぶ厚いメーキャップでインド人になりきってもいい、と言っているとある。ホプキンスはわからないが、キッドマンの希望する役柄はシュールパナカーだそうだ。
この映画化は単に大量に作られては消費される娯楽作品のひとつではない、と著者は言う。インド文化と伝統の礎石なのだから、おかしなものにはさせない。一方で、映画制作を細部までコントロールするようなことは著者はするつもりはない。本分は作家であり、映画を作るより、書くべきだし、書いていたい。
となると、契約でがっちりと縛ったということだろう。脚本家、監督、プロデューサーはインド人でなければならない、という条項ぐらいはありそうだ。
個人的には小説の映像化はあまり好きではない。イメージが固定されるからだ。しかし、ことこのアショーカ版『ラーマーヤナ』に関しては、映像化は物語にとって、さらなる発展を意味する。これについては項を改める。