悪役のカルマ

 マンタラーというキャラはアショーカ版では他のどの版にも増して悪役に描かれている。


 物語冒頭からラーヴァナをからませるのはアショーカ最大の工夫の一つだが、マンタラーをラーヴァナの手先としたのは、そこから当然生まれる形ではある。


 従来の諸版では、マンタラーは第二部「アヨーディヤ・カーンダ(アヨーディヤの巻)」でカイケーイーを説得し、ラーマを追放させるわけだが、例えばヴァールミーキ版でのこのカイケーイー説得の場面にはあまり説得力がない。カウサリヤーやスミトラー同様、ごく常識的な女性であり、ラーマを愛して、マンタラーの説得をまるで問題にしなかったカイケーイーが、途中でいとも簡単にくるりと態度を変え、ラーマを追落す。


 それにマンタラーがカイケーイーを説得する行動に出る根拠もぼくらの眼から見れば、弱い。何しろ初めて出てきた時にはすでに陰謀を考えているのだから。


 しかしこのマンタラーはなかなか興味深いキャラクターではある。ヴァールミーキ版でも、おそらく一番複雑な性格のキャラだ。現在残っているヴァールミーキ版はいわば物語の骨格部分だけで、実際にはこれをもとに口頭で、おそらくは何らかのBGM付きで物語られていたはずだ。その時には語りの力で生命を獲得するにしても、テクストで残っているものの中では、キャラクターたちは平板だ。箱にしまってある操り人形だ。


 その中でもマンタラーは、ただ一人、陰謀をめぐらし、ラーマ追放に成功する。


 『ラーマーヤナ』ではラーマは追放されなければならない。そうでないと話が成立しない。ラーマが追放されることでラーヴァナとの最後の対決が不可避となり、ラーヴァナを倒すというそもそものラーマ降臨の目的が達せられる。マンタラーがいなくてはラーマは追放されなかったはずだ。したがってマンタラーは、物語全体の鍵を握るキャラクターになる。カウサリヤーやスミトラー、あるいはヴァシシュタやヴィシュワーミトラがいなくても物語はなんとかなるが、マンタラーがいないと『ラーマーヤナ』そのものが消えてしまう。


 こうしてマンタラーはいわばハヌマンの対極にいる。ラーヴァナとの関係も、ハヌマンとラーマの関係の裏返しだ。後半がハヌマンの活躍の場とすれば、前半はマンタラーが動かす。


 だからこそマンタラーは肉体的にも精神的にも、ハヌマンの陰画になる。老婆であり、肉体に障碍を抱え、ひねくれて陰険、被害者意識に凝固まっている。アショーカの凄いところは、この対照にもきっちりと根拠を据えているところで、マンタラーがなぜこういう存在になったか、その真の事情は後で明かされる。そしてその事情はまた物語全体を照射する。マンタラーはその死の瞬間、他の誰にもまだわからない、ラーマの秘密を覚る。


 このマンタラーをキャラクターとして「好き」と言ってしまっては、たぶん言過ぎだろう。しかし、興味深いことでは、これを凌ぐのはラーヴァナだけだ。何度もの危機を、知恵と演技力をふりしぼって乗切る。その様はほとんどけなげとも言えるほどだ。彼女もまたおのれの役どころを十分に承知している。そしてそれをものの見事に演じきる。


 最初に読んだ時には、実に嫌な存在として、出てくると自然に顔をしかめてしまうくらいだった。が、翻訳作業をしているうちに、マンタラーの面白さが少しずつわかってきた。この人物については、十分以上に気合いを入れて対処しなければいけない。