梵仙

 『ラーマーヤナ』前半には
ヴァシシュタとヴィシュワーミトラの
二人の梵仙がメイン・キャラとして活躍します。


 この二人のうち、ヴィシュワーミトラは
なかなか面白いキャラクターです。
そして『ラーマーヤナ』が、
「原典」のヴァールミーキ以来、
ラーマを冒険に押しだす役として
この人物を設定しているのは、
際だった手腕であります。


 ヴィシュワーミトラは
全世界に7人いる梵仙〈七仙〉のなかで
一番若い存在です。
若いだけに活動的、エネルギッシュです。
かつてはクシャトリヤに属する王であって、
その後婆羅門となり、
梵仙の地位にまで登った存在でもあります。
その点でも、他の梵仙にはない積極性を備えています。
さらに二つのヴァルナ=種姓を経験している存在は例外であり、
クシャトリヤと婆羅門の二つを経験しているのは、
ヴィシュワーミトラのみとされています。


 ヴィシュワーミトラが王の地位を捨て、
婆羅門になるべく厳しい修行を始めるきっかけが
ヴァシシュタとの出会いでした。
この出会いのエピソードは
ヴァールミーキ版の第一篇「少年の巻」で詳しく語られています。
アショーカ版では
『蒼の皇子』下巻第三部「人間以上」の8章で、
ヴィシュワーミトラがアナンガ僧院に入る際、
戸口の傍らにいた牝牛に声をかけるシーンが、
そのエピソードを踏まえています。
ひとことで言えば、
ヴィシュワーミトラはかつては武威を周囲に示した王で、
傲慢、強欲、おのれの欲望のためには手段を選ばぬ人物でした。
それがヴァシシュタと出会い、
手ひどい罰を受けて改心し、
婆羅門になること、それも最高位の婆羅門になることを目指します。


 ヴィシュワーミトラは
ラーマーヤナの全登場人物の中でも、
ユーモアのセンスを一番豊かに持っています。
ヴァシシュタはもちろんですが、
アヨーディヤーの人びとは、どうも皆まじめです。
ラクシュマナは冗談好きですが、
それが発揮されるのは、美しい女性がいる時にかぎられるようです。
ヴィシュワーミトラは
梵仙という地位の手前、
ふだんはまじめな顔を崩しませんが、
根は陽気で、
なにかといえば笑い、
そしてどうやら無類のいたずら好きでもあるらしい。
この性格は、梵仙になるずっと前、
まだ王であった頃からのものでしょう。
ひょっとすると、
ヴァシシュタにいたい目に会わされるもとになった事件も、
物欲もさることながら、
謹厳なヴァシシュタに一泡吹かせようとして
仕掛けたいたずらが過ぎたのかもしれません。


 『ラーマーヤナ』に語られる物語は
そのヴィシュワーミトラにとっても大きな経験です。
長い長い経歴の中でも、クライマックスの一つです。
この経験がかれにどういう影響を残したか。
一度会って、じっくり話を聞いてみたい。


 『ラーマーヤナ』もすべての物語と同じく、
本が終わったところで終わっているわけではありません。
物語はその後もずっと続いています。
梵仙は死ぬことはないのですから、
今も(インド)世界のどこかに生きているはずです。


 もちろん、今はカリ・ユガ、暗黒の時代ですから、
一目で梵仙とわかる形ではいないでしょう。
インドにはほとんど無数にいるように見える、
グル、聖者の姿さえとっていない可能性が大きい。
政界、財界で際だった存在でもない。
とてもいそうにいないところにいるはずです。
映画スターや音楽の巨匠というのはあるかもしれません。
あるいは、ひょっとしてひょっとすると、
作家として活動しているのかも……。