父親

 父親にとって最もしあわせなことは何か。
人間としてでもなく、
男としてでもなく、
父親として、です。


 ひとつの答えは、
最高の子どもを持つこと。
息子でも娘でも、どちらでもかまいません。


 父親にとっては、子どもが「りっぱ」に育つことが重要です。
母親は自分の胎内に子どもが宿り、
これを生みだすことを実感しています。
子どもとの結びつきには明確な証拠があります。
その証拠は否定しようがありません。
ですから、母親は無条件、無前提に
子どもとの関係を作れます。
子どもがどんな人間であれ、
どんな生きものであれ、
自分の子どもと認識し、
受けいれます。


 父親はそうはいきません。
受精の瞬間を実感できるわけではないのです。
子どもが自分の子であることの証明は
すべて状況証拠によります。
DNA鑑定にしても、
理論の上での証拠で、
母親のように
感覚として持っているものではありません。


 ですから、父親は、
子どもがつねに自分の子であることを、
確かめ続けなければなりません。
ふつうこれは無意識のうちに行われます。
そしてその確認の中には、
自分よりマシな人間になって欲しい
という願望がこめられています。


 そう考えると、
コーサラの大王=マハーラージャ・ダシャラタは、
この世で最もしあわせな父親、
ということになります。
息子のラーマがあらゆる点で
自分よりすぐれた存在であることを、
ダシャラタは認めています。
そのラーマが、
自分にとっても何よりも大切なものである
王位を継いでくれることを、
感謝しています。


 それだけではありません。
かれをこの世に生みだしたことで、
父親がその人生で犯した
すべての罪、過ちを償ってあまりある、
ラーマはそういう存在です。
たとえそう告げられるのが、
死の直前であったとしても、
そうわかった上で死んでゆくことは、
父親として最高の死に方です。


 最高の死に方をするのは
ダシャラタが払わねばならなかった
犠牲への報酬
でもあります。
ダシャラタはおよそ父親として最もやりたくはないことを、
子どもに対してやらねばなりませんでした。


 父親としての最高の天国と最低の地獄。
ダシャラタはその二つを体験しました。
この二つはつねにペアとして
体験しなければなりません。
そして、ダシャラタは
われわれ、世の父親を代表して
体験したのでした。


 父親が背負わされた役割を果たすことで
父親になってゆくように、
子どももまた、子どもとしての役割を
否応なく背負わされます。
子どもが父親の権威を認めるのは、
父親との関係を確認しつづけるための方策です。
父親という存在は、
子どもがその権威を
日々新たに認めることで
初めて成立します。


 父親とは実にもろい存在。
子どもによって支えられなければ存在できない、
か弱い存在である。
ダシャラタの姿はそのことを象徴します。