正義と悪

ohshimayutaka2006-06-10

 下巻のカヴァーも掲げておく。スキャナで取りこむと、枠とタイトル脇の飾りの金箔押しは黒くなってしまった。


 上巻巻頭には著者の「謝辞」、下巻巻末にはやはり著者による「あとがき」がある。
 この「あとがき」はなかなかに深い。この新たな『ラーマーヤナ』が、単純な娯楽作品に留まらず、複数のレベルで読めることがうかがわれるだろう。


 著者がここで宮本武蔵の『五輪書』を取りあげているのは、彼が武蔵のファンだからでもある。そのきっかけは『バガボンド』であり、吉川英治の原作も読んでいる。吉川英治の『宮本武蔵』は古くから英訳があって、おそらく日本の小説としては『源氏物語』とならんで海外で最も広く読まれているものの一つだろう。近頃は村上春樹が急追しているが。


 「あとがき」が提示していることの一つは、『ラーマーヤナ』が単純な勧善懲悪の話ではないことだ。「敵」であるラーヴァナの「悪」は、例えばサウロンやヴォルデモートの「悪」とは趣が違う。世界観の違い、と言ってしまうのは簡単だが、新しい『ラーマーヤナ』に著者がこめたものは、もっと普遍的ではないか。ラーヴァナの「存在理由=レゾン・デートル」は最終巻のラストで初めて明らかになるはずで、だから「あとがき」の真意は最後まで読みおえないと明らかにならない。とはいえ、物語が進むにつれて、一筋縄ではいかないその性格はだんだん明らかになってくる。『蒼の皇子』ではまだその点はあまり表に現れないから、著者はこの「あとがき」でその点に注意を喚起している。


 こうしたラーヴァナのあり方は、今回の『ラーマーヤナ』の特色の一つだ。ヴァールミーキではラーヴァナは比較的単純な悪役である。アショーカがおおいに影響を受けたと言っているタミル語のカンバンの『ラーマーヤナ』になると、ラーヴァナのキャラは深みを増して、かなり面白い存在になる。アショーカはそれをさらに徹底したわけだが、そこにわが『ガンダム』の影響を見るのは我田印水だろうか。


 21世紀版『ラーマーヤナ』の著者アショーカ・K・バンカーは日本の小説、マンガ、アニメの大ファンである。むろん英訳されたものに限られるが、およそ英訳されたものは全部読んだり、見たりしているのではないかとすら思えるくらいだ。『蒼の皇子』を読めば、例えば序章での阿修羅の軍や、本編が始まってすぐに出てくる羅刹のカラ=ネミの描写には、永井豪の影響を見ないわけにはいかない。だから著者本人は意識しないにせよ、全体の構想に『ガンダム』の影響を見るのもそう的外れではないだろう。