統合されたヒーロー

 『ラーマーヤナ』のヒーロー、ラーマは
品行方正、学業優秀、眉目秀麗
を絵に描いたような存在ではある。
普通だったら、絶対に面白くも何ともないヒーローになるはずだ。
一応主人公ではあるが、個性的な脇役に食われて、ただひたすら右往左往する。
ヒロインの尻に敷かれる。
むしろ周囲の引きたて役でしかない。
ところが、そうはなっていない。


 ラーマはあくまでも「ダルマ」にしたがって、
いついかなる状況でも「正しい」行動を選ぶ。
(「ダルマ」とは何か、というのは簡単には言えないのでまた別の機会に)
それでちゃんと主人公としての存在感を示すし、物語の根幹を担う。


 理由の一つはラーマが自分の目の前に現れる状況に対して、
責任をとることを逃げないからだろう。
与えられた課題を正面から受けとめ、
全力を尽くして、自らの役割を果たそうとする。
それは「ダルマ」にしたがうことでもある。
それで全部ではないのだが。


 で、もう一つは課題に向かう場合に、
他人の助力をあてにしないのだ。
協力や助力を拒みはしない。
しかし、自分からそれを求めたり、
計算に含んだふるまいをしない。
その結果、たとえ自分の役割を果たせずに
倒れることになる可能性があるとしても、
だからといって、自分の使命のために他人を巻き込むことはしない。
これもまた「ダルマ」にしたがうことである。


 ラーマの水際だったさわやかさは、
たぶんそこからきている。
こういうさわやかさは、
おそらく、現代の「創作」では生まれてこない。
古い時代、
まだ人びとが自然との対称性を失っていなかった時代に生まれ、
受継がれ、磨かれてきた物語にこそ生まれる。


 アキレスやヘクトル
アーサーやクーフーリン
スサノヲ。
ラーマはかれらの仲間だ。
ほんものの「英雄」の一人なのだ。


 アショーカは『ラーマーヤナ』を語りなおすにあたって、
そのラーマに現代人の性格をも与えた。
父親とよりをもどした母親に
ラーマが猛烈に腹を立てるシーンは
物語全体の鍵を握る。


 するとラーマは神話の英雄の性格はそのままに
歴史上の英傑
カエサルや成吉思汗や
仏陀ムハンマド
あるいはレオナルド・ダ・ヴィンチ
相通じる性格をも帯びる。


 そしてなおかつ、アショーカが描く情景は
ラーマをごく身近なヒーロー、
アニメやマンガのヒーローの一人にも見せる。


 つまり、この『ラーマーヤナ』のラーマは
3種類のキャラクターが統合されている。


 ちょっと、とんでもないことかもしれない。