シーターとジャナカ

 朝は一点の雲一つなく晴れていた。
いつの間にか雲がでたと思うと
またさんさんと陽光が降りそそぐ。


 作業は『樹海の妖魔(仮)』上巻初稿ゲラの校正。


 読者からの質問に、シーターはジャナカの娘のはずだが、
それとは矛盾する記述がある、
というのがあった。


 実はシーターはジャナカと血のつながった娘ではない。
たがいに父、娘と認識し、深い愛情に結ばれている。
が、シーターはジャナカの妻の体内から産みおとされてはいないのである。


 ジャナカはシーターを王室菜園の畝の間に見つけた。
つまりシーターは天からの授かりものなのだ。


 ラーマが実はヴィシュヌの化身=アヴァターラであるように
シーターもヴィシュヌの妻、ラクシュミーの化身である。


 ヴィシュヌはご存知と思うが、
ヒンドゥー最高神、三神一体のうち、維持・保存を司る神様だ。
ヴィシュヌはつまり世界のバランスを保つのが役目。
そのために、地上界が乱れ、
バランスが悪の側に傾くと
化身となって降臨し、
バランスを崩したものをとり除く。
この化身は全部で10回。
そのうちの6回目がラーマである。


 ヴィシュヌの化身については
上村勝彦『インド神話:「マハーバーラタ」の神々』に詳しい。


 ラーマは自分がヴィシュヌの化身であり、
実は神であることを自覚していない。
あくまでもただの人間だと思っている。


 シーターも同じで、
自分が大母神ラクシュミーの化身であることは知らない。
ただ、ラーマは実際に母カウサリヤーの胎内から出たが、
シーターは人間の母親を持たないのである。
ちなみにラクシュミーはわが国では吉祥天として知られる。


 このことはインドの人びとにとっては常識で、
わが国でかぐや姫が月からきた娘であることを
知らない人はまずいないのと事情は同じである。


 なので、アショーカ版では
シーターが生まれたときの事情は省かれている。


 シーターには妹が一人いて、これはジャナカの実の娘。
それ以外にジャナカは、先に死んだ弟の娘二人をひきとり、
シーターたちの妹として育てている。
これがミティラーの四姉妹だ。


 シーターとジャナカの関係が問題になるときには
以上のことを頭に入れて読んでいただきたい。