マンタラーとカウサリヤー

 『樹海の妖魔(仮)』
第二部「奪われた人びと」の最後で、
カウサリヤーはコーサラの摂政となり、
マンタラーは最後を迎える。


 アショーカ版『ラーマーヤナ』前半三篇は
ラーマの物語というよりは、
女たちの物語ではある。


 かたやカウサリヤー、
スミトラーに、
シーターも途中から加わる。


 こなたマンタラーと
カイケーイーだ。
タータカーを加えてもよいかもしれない。


 ラーマはこの二つの力の対決に翻弄される、
といっても言過ぎではない。


 その二つを代表する
カウサリヤーとマンタラーは、
ここで相前後して以後の運命が定まり、
そして舞台から去る。
以後、二人とも物語には登場しない。


 その最後をあらためて読んでみて、気がついた。
この二人、実は背中合わせなのだ。
外見も
性格も
人生を生きる動機も
まったく対照的なこの二人は
人間がとりうるすがたの各々極致である。


 二人の対決は
ぎりぎりの緊張感をみなぎらせながら
どこかに姉妹喧嘩の気配を漂わせている。


 そしてどちらも芯にある
生命への強烈な欲求


 単に生きることではなく、
良く生きることへの欲求。


 そう考えると、
マンタラーというキャラクターが
ますますおもしろくなってくる。


 ヴァールミーキやカンバンでは
単なる脇役、
カイケーイーをけしかけて罰せられるだけの
ちょい役だった存在が、
主役の一人になってくる。


 マンタラーにこうした役割を与え、
それに応じた設定を設けた
アショーカの作家としての腕も冴えている。


 あるいは、
自分は書いたのではない、
物語に書かされたのだ、
というアショーカの言葉を敷衍すれば
キャラクターとしてのマンタラーの成長は
21世紀の世界の反映でもある。