菩提樹

 インドの話を翻訳していて
困ることのひとつは、
動植物の名前である。
われわれにはなじみがないものがほとんどなのだ。


 これが欧米のものだと、
小説などの文章以外に、
われわれは様々な形でその文物に日常的に触れている。
日本にはふつういないものでも
漠然となじみがあって、
読んでいる途中に出てきても気にならない。


 ところがインドの場合には、
そのままの名前を出したのでは、
それが動物なのか、
植物なのか、
はては地名のような固有名詞なのかも、
見当がつかないことがたびたびだ。


 このインドとのなじみの無さは、
日本とインドの距離の遠さに由来するのだろう。


 日本から見れば、
インドの手前に中国があった。
中国は当時の列島の人間にとっては
世界を覆っていたから、
その向こうにあるものは直接には見えない。


 だからわが国は
インドから実にたくさんのものを
受けついでいるのだが、
そのすべてが仏教と中国経由だ。


 漢字による表現は
インドの原語の発音を置きかえたものだとしても、
一度漢字になってしまうと、
それを見る日本人にとっては元の発音は消えてしまう。


 神様の名前のような固有名詞は
それでも対応物を見つけることは難しくないが、
動植物の名前のような一般名詞となると
とたんに難しくなる。
菩提樹のように、
まったく別のものが感違いされる例も出てくる。


 それでも菩提樹
途中で勘違いされたことがわかる程度には知られている。


 クシャラヴィーヤ草のように、
特別扱いされているものも、まあ扱いやすい。


 そこらに生えてる、
なんでもない草や花が
なかなか厄介になってくる。
何らかの説明をつけるか。
明らかにそれが草であるとわかるように訳すか。
ストーリーの流れを乱さず、
読書の楽しみを損なわずに、
そういう処理ををする。


 悩みのタネはまったく尽きない。


 ついでながら、インドの菩提樹にも二種類ある。
バンヤン」とも呼ばれると、ベンガル菩提樹
「ピーパラ」と呼ばれる天竺菩提樹またはインド菩提樹だ。


 お釈迦様がその下で悟りを開いたといわれるのは
ピーパラのほうである。


 ベンガル菩提樹は熱帯の原産地では条件が良いと、
一本の樹が巨大なものになり、
周囲数百メートルの「林」を作る。
余談だが、
ブライアン・オールディス
初期の代表作『地球の長い午後』は、
熱帯化して、
陸地がすべて
一本のベンガル菩提樹に覆われた地球が舞台だ。