グハ

 『ラーマーヤナ』の登場人物のうち、一番の異色はグハだろう。
ラーマたちアーリヤ族とは異なる、ニシャーダ族の棟梁(王)である。


 グハは全篇でただ1ヶ所しか登場しない。
『樹海の妖魔』第二部「所有せざる人々」15章から
第三部「妖魔襲来」7章にかけての数十ページだけだ。
しかも、彼が登場するエピソードは
物語の進行にぜひとも必要というわけではない。
グハとニシャーダ族がいなくとも、話は成立する。


 にもかかわらず、グハの印象は強烈だ。
その存在感は、時にラーマたちすら圧倒する。
彼がいなければ、物語全体が
遙かに寂しいものになってなるだろう。


ニシャーダ族はアーリヤ族到来以前から亜大陸にいた
土着民または先住民らしい。
生活様式も、従う法も、まったく別である。
そして、グハのエピソードは、
従う法が異なる者同士でも、親友になれることを示す。
しかもどちらかが相手を吸収する形ではなく、
たがいに異なったまま、
相手が異質であることを認めたまま、
友となれるのだ。


 グハとラーマの会話は、意味深長だ。
親しげに会話しながらも、
たがいにおのれの存在基盤をかけている。
隆慶一郎『一夢庵風流記』
前田慶次郎と秀吉の対決にも比べられる、
というと我田引水だろうか。
しかしこの会話によって、ラーマの行動に
それまでなかった角度から光が当たる。
ラーマの人となりが立体的に浮きあがってくる。
自ら追放を選んだラーマの行動が、
納得はできないまでも、
まったくの理不尽ではないことが、染みこみはじめる。


 グハの存在は物語の奥行を格段に広げている。


 『ラーマーヤナ』は終始
アーリヤ=ヴェーダ信仰(バラモン教)=ヒンドゥー
の視点から語られる。
グハの視点、存在はこれを「異化」する。
ヒンドゥーの視点、考え方を客体化する。


 もちろん実際にモデルがいたはずだ。
そのモデルを活かし、この異質な視点を持ちこんだのは、
ラーマーヤナ』を作った人びとの大ヒットである。
グハの存在は、一見無駄に見えながら、
実は物語全体を支える最も重要な要素でもある。