謹賀新年

 3日に浅草・待乳山聖天に初詣に行く。


 聖天は正式には大聖歓喜天
仏法、信者の守護者である。
夫婦和合、子宝を授けてもくださる。


 インドではガネーシャ
最高神シヴァの次男坊で、象の頭を持つ。
ガネーシャが象の頭を持つのは、
幼い頃、父親のシヴァに首を切りおとされたためだ。
さすがにシヴァもあわてて、
近くにいた子象の首を切って、代わりに据えた。
その子象のほうがどうなったかは、伝わっていないらしい。


 ガネーシャは象の頭にぽってりと出た腹という、
かわいくもあり、ユーモラスでもある姿のせいか、
今でもたいへん人気のある神様だ。
ガネーシャ梵天を造った、という神話まである。


 それはともかく、ガネーシャはまず、
障碍を消してくれる神さまだ。
何かをしようとするとき、
邪魔するもの、邪魔になるものをとり除いてくれるのである。


 また一方、出版や文学の守護神でもある。
マハーバーラタ』の口述筆記を、
梵天から託されて行ったのがガネーシャとされているからだろう。
だから、インドでは出版物の巻頭に、ガネーシャへの献辞を置くのが慣例だ。
われらが『ラーマーヤナ』でも巻頭に献辞を置いている。

 「ガネーシャよ、この言葉の大軍をよろしく導きたまえ」

 「軍」としているのは、ガネーシャがシヴァの息子の一人として、
天界にいる神々の軍の司令官の一人だからである。


 そういうことであるから、
ラーマーヤナ』の訳者としては
やはり初詣はガネーシャを祀った寺に行かねばならない。


 さすがに三が日は人出も多く、
本堂の前にはお参りする人の列が短いながらもできていたし、
酒をはじめ、いろいろモノを売ってもいた。


 本堂手前の神楽堂が開いていて、
神楽が奉納されていたのには歓んだ。
ちょうど獅子舞とひょっとこの一幕を演じていたのでしばらく見物。
横笛と太鼓は中年の男性で、地元の人たちでもあろうか。
一見気楽そうにひょうひょうとした演奏だが、
なかなかに聞かせる。
獅子舞は最後に獅子頭をはずして挨拶したところでは、
30代後半ぐらいに見える男性。
ひょっとこは面をはずさなかったのでわからない。


 おみくじがあるので引いてみる。
「凶」が出たので、近くに用意されている棒に結びつける。
おみくじで「凶」を引いたのは生まれて初めての気がする。
これは今年は何か良いことがあるんじゃないか。


 浴油祈祷をお願いする。
翌日から7日間、修していただくので、
11日以降にまた来て、お札をもらうことになる。


 浅草の駅までの往復でも、地図を片手に
浅草七福神めぐりをしているらしい人たちが何人もいた。
待乳山聖天には毘沙門天も祀られている。


 この毘沙門天はインドでは財宝の神クベーラだ。
ラーヴァナの異母兄でもある。
この兄をラーヴァナはさんざんいじめて、
たくさんの宝物を奪った。
ラーヴァナの本拠ランカーも元はクベーラの別荘があったところだし、
ラーヴァナ専用の乗物、万能の天車=プシュパカも、クベーラの持ち物だった。


 晴れて風もなく、穏やかな日。


 今年がこれをご覧の皆さまにとって、実り多い年でありますように。