『ラーマーヤナ』を語りなおして・その1


 これから掲げるのは、著者がインド版原書に付けた序文だ。

 ざっと訳しただけで、きちんとした見直しも編集もしていないので、
訳のおかしなところも残っているが、ご容赦願いたい。

 ここにはなぜ今新たな『ラーマーヤナ』の語りなおしをしたのかが、熱く述べられている。
同時に、ヴァールミーキ以来これまでの『ラーマーヤナ』の来歴が、簡潔にまとめられてもいる。

 著者がこの序文を書いたのは、インドでは『ラーマーヤナ』が特別な存在である事情がある。
われわれにはいささかなじみにくいその事情は別として、
この序文はわが国読者にも『ラーマーヤナ』とその現代版のアショーカ版への良いイントロになると思う。

 全体で400字詰め原稿用紙30枚ほどの分量なので、1週間ほどかけて分載する。

ラーマーヤナ』を語りなおして


§最初の芸術詩(アディー・カーヴィヤ)=最初の語りなおし(リテリング)


 およそ三千年ほど前、
ヴァールミーキという名の賢者が、
人里離れた森の中の隠棲所(アーシュラマ)で
弟子たちとともに禁欲生活を送っていた。
ある日、放浪の賢者ナーラダがこの隠棲所を訪れた。
ナーラダはヴァールミーキから、
完璧な人間をご存知かとたずねられた。
ナーラダは実はそういう人物を一人知っていると答え、
この理想的人物の物語をヴァールミーキとその弟子たちに語った。


 数日後、
ヴァールミーキはたまたまある猟師が
一羽のダイシャクシギを殺すところを眼にした。
シギの連れあいはただ一羽とり残されて、
悲しみにうちひしがれて鳴いた。
ヴァールミーキは猟師の行為への怒りと
鳥の不幸への悲しみに我を忘れた。
賢者は何か無分別なことに走る衝動を覚えたが、
苦労して自分を抑えた。


 怒りと悲しみが収まってから、
賢者は自分の感情の激発を反省した。
かくも長い間瞑想と禁欲を行ってきていながら、
なお己の感情も制御することができないのだろうか。
それはそもそも可能なことなのだろうか。
本当に自分の感情を制御することができる人間がいるのだろうか。
しばらくの間、賢者は望みを失っていた。
その時、ナーラダから聞いた話を思いだした。
物語が言外に意味するところや
主人公がなした選択について思いをめぐらし、
主人公が自身の思考、言葉、行為そして感情について
いかに偉大なコントロールをして見せたかについて考えた。
ヴァールミーキはその記憶に励ましを覚え、
かつて感じたことのない、穏やかに落ちついた気持ちで満たされた。


 ナーラダが語った完璧な人間の物語を思いおこしたとき、
ヴァールミーキは自分が
その物語を特定の韻律とリズムで朗詠していることに気がついた。
このリズムは平仄は、
例のダイシャクシギが喉をふるわせて鳴いていた声に符合するもので、
まるでその記憶を思いおこすきっかけとなった悲哀の情への手向けのようだった。
たちまちに賢者のうちに、
この新たな韻律形式を用いて物語の自分独自の版、
他の人びとが聞いたとき、
自分と同じように励まされる物語を作ろうとの決意が湧いてきた。


 しかしナーラダの物語はただできごとを語っただけのもの、
今日の我々ならば単なるプロットと呼ぶものに過ぎなかった。
物語をごく普通の聞き手に対して魅力ある、
記憶に残りやすいものにするためには、
ヴァールミーキは独自の想像によって、
かなりの追加と装飾を行い、細かい部分を埋め、
エピソードを考えださねばならなかった。


 しかしヴァールミーキにそうする権利がいったいあるだろうか。
考えてみればそれはヴァールミーキの物語ではない。
人から聞いた話だ。
実在の人物の実際にあったことの話だ。
いかにすればヴァールミーキが物語の独自の版を作りあげることができるのか。


 この時、
ヴァールミーキのもとをブラフマー神ご自身が訪問された。
造物主は、不安を脇に置き、考えている作品の製作をはじめよと指示された。
次にあげるのはヴァールミーキが自分に対して熱心に励ますブラフマー神の言葉を、
今あなたが読まれているこれと似ていなくもない導入部に引用したものである。


 「ラーマの行状を語れ……
そなたがナーラダより聞いたとおりに。
ラーマのすでに知られた所行だけでなく、
知られぬものを語れ。
その冒険……その戦い……
シーターの所行の知られたものも知られぬものも語れ。
そなたの言葉に嘘偽りが入ることはない。
ラーマの物語を語れ……
この世に山々や河川があるかぎり、
ラーマの行状記は語りつがれよう」


 ヴァールミーキがそれ以上せきたてられる必要はなかった。
賢者はこの詩を作りはじめた。
賢者はその物語を『ラーマーヤナ』と名づけ、
文字通りには「ラーマの行状記(ないし遍歴)」を意味した。


訳者蛇足

 この部分は、ヴァールミーキ版『ラーマーヤナ』導入部のほぼ忠実な語りなおし。
岩本裕の訳による平凡社東洋文庫版『ラーマーヤナ 1』参照。
また、『マハーバーラタ』も含めて、
叙事詩そのものが生まれる、より大きな枠での神話については、
上村勝彦『インド神話ちくま文庫第二章参照。


 ヴァールミーキの人となりについてはまったく不明。
ホメロスの正体がわからないのと同じ。

 ただ、伝説によると、
ヴァールミーキはかつては平気で人を殺す盗賊だった。
それがある事件をきっかけで回心し、
苦行をおこなって僧侶となり、
ついにはアーシュラマ=隠棲所で弟子たちと暮らすようになった。
 そしてここに描かれたナーラダ仙との出会いから、
新しい韻律=平仄を発見し、それを用いて一大叙事詩を語る。


 実はこのヴァールミーキは
アショーカ版でも重要な役割を果たすことになる。
どのような役割かは、お楽しみに。
ただ、この伝説は頭の隅に入れておいていただきたい。
第四篇『神猿の軍勢(仮)』でヴァールミーキの名前が出てきたときには、
思わず声をあげてしまった。


 ナーラダ仙は仙人の中でもトップの一人で、
いわゆる〈七仙〉の一人にも数えられるし、
ヴィシュヌ神と同一視されることもある。
ただ、この人物が主人公になった話というのはあまりないらしい。
いわば便利なちょい役として出てくる。
この仙人は『ラーマーヤナ』はじめインド神話にたくさん出てくる。


 ヴァールミーキが語ったとされる
サンスクリット語の『ラーマーヤナ』は韻文である。
あくまでも「詩」である。
これを朗唱した録音もCDで出ているし、
ネットで公開されているものもある。

 ただ、「オリジナル」「原典」の問題については
この序文の後のほうで著者が触れている。