マアツィ・ナローティ

 締めくくりに
同様な道をたどった二人の尊敬すべき著者から
短い引用をすることをお許しいただきたい。
一つめはK・M・ムンシで、
かれの『クリシュナヴァタラ』シリーズは、
古代の物語の現代における語りなおしのジャンルで、
手本となる作品の地位を守りつづけている。
次に掲げるのは
1972年のバラティヤ・ヴィーディヤ・バヴァン版の
ムンシ自身の序文の一節だ。

 この冒険の中で、私は伝説や神話から離れねばならないことも多かった。
というのも現在作家によるこのような再構成には、いかに貧弱なものだろうと作家の備える想像力を使うことが必要とならざるを得ないからである。
私の勝手なふるまいを〈かの人〉(クリシュナ)はお許しくださるものと信じている。私は自分の想像力に映った姿として〈かの人〉を書くほかなかったのだ。


 私にはこれよりうまい表現は思いつかない。


 イラヴァティー・カルヴェの、
サヒティヤ・アカデミー賞を受賞した
マハーバーラタ』研究の金字塔『ユガンタ』は
わずか220ページの薄いポケット版(ディシャ版)に、
どんな百科事典十本も及ばない貴重な洞察を詰めこんでいる。
この本の中でおそらく最高のエッセイ「ドゥラパディ」に、
著者は次のような脚注を入れている。

 ここまでの議論は『マハーバーラタ』批判版に基いている。
以下の部分は私のナロティである。
(ナロティ=乾燥したココ椰子の殻。すなわち価値のないもの。
「ナロティ」をこの意味で最初に使ったのは詩人エクナットである)


 カルヴェの精神の自由な黙想の方が、
たいていの百科辞典的論文よりも
ヴィヤーサの恐るべき叙事詩について学べることは多い。
自由な思考によってのみ、真に進歩的考えが生まれる。


 読者へは
私の乾いたココ椰子の殻である『ラーマーヤナ』の加工品を
同じ精神で見ていただくようお願いする。


 以下のページにあなたを喜ばせるものがあるならば、
私が自分の小さな足を重ねた
巨大な足跡を残した偉大なる先達たちに感謝していただきたい。
あなたが不快に思われるところがあれば、
その責めは物語そのものではなく、
私の才能のいたらぬところに帰してほしい。


2005年3月
ムンバイにて
アショーカ・K・バンカー



訳者蛇足
 K・M・ムンシ Kanaiyalal Maneklal Munshi (1887-1971) はグジャラート出身の弁護士・裁判官、インド独立運動にも積極的に参加し、インド国旗の制定、憲法起草にも関わる。環境保護活動の先駆者でもある。一方で作家としてグジャラーティ語、英語双方で数多くの作品を残している。
 KRISHNAVATARA はインドで最も人気のあるヒーローの一人であるクリシュナの生涯を英語で描く歴史小説。クリシュナはヴィシュヌ神の化身=アヴァターのひとつで、『マハーバーラタ』のメイン・キャラの一人でもある。なので、われわれから見るとこの小説は歴史ファンタジーの先駆けにもなっている。1951年から刊行され、1971年、著者の死によって未完となった。現在はムンバイの Bharatiya Vidya Bhavan から全7冊のペーパーバックとして出ている。第7巻巻末には原稿が一応できていた第8巻第13章まで収録されている。物語は『マハーバーラタ』の始めのほう、いかさまの賽子勝負でパンドゥの五王子が追放されるあたりまで。したがって、この小説はクリシュナの前半生、いわゆる「羊飼い」時代がメインだ。


 イラワティー・カルヴェ Irawati Karve (1905-1970) はビルマ生まれの社会学者、文化人類学者で、マラーティ語と英語で著書を残している。YUTANTA: the End of an Epoch は1969年、マラーティ語で発表され、1974年英語版が出た。『マハーバーラタ』の社会とキャラクターについてのエッセイ集。